お知らせ

2012年4月から新潟大学大学院に共生経済学研究センターを立ち上げました!グローバルな視野を踏まえながら、地域目線の研究活動を企画していきます。今年度は新潟市における公契約条例制定の可能性について検討中です。

2012年8月27日月曜日

次は「脱・新自由主義基本法案」を!

つい先日、「脱原発基本法」の制定を目指すグループが発足したことが報じられました(http://www.tokyo-np.co.jp/article/national/news/CK2012082202000216.html)。代表世話人には、作家の大江健三郎さん、瀬戸内寂聴さん、弁護士の宇都宮健二さん、河合弘之さん、音楽家の坂本龍一さんなど著名人のほか、福島県南相馬市の桜井勝延市長、茨城県東海村の村上達也村長も名を連ねています。法案の要綱には、遅くとも2020年度ないし2025年度までにすべての原発を廃炉することを明記、超党派の国会議員にはたらきかけ、次の国会に議員立法で提案するのだそうです。脱原発の市民運動が盛り上がってきたことをうけ、素早いフットワークで一挙に決着をつけようということでしょう。

今夏の猛暑はどうやらほぼ原発抜きで大過なくやり過ごせそうですし、なによりもこの間に政府自身が行ってきたエネルギー政策に関する国民の意見の集約や世論調査でも、大勢は脱原発になっています。もうこの流れは止められないし、不可逆的に定着したと考えていいでしょう。「原子力ムラ」と国民の多数派とのガチンコ対決。正々堂々とフェアプレーで勝負すればどちらが勝つかは誰が見ても明らかですが、そこは敵もさるもの、どんな禁じ手を弄してくるかわかりませんから、まだまだ要注意。警戒を怠らず、地道に「否」の声を上げ続け、それを法律という形で制度化していきましょう。

僕の足元の新潟県でも、出力ベースで世界最大規模の柏崎刈羽原発をどうするか、県民投票を行って市民の意志を明確にしようじゃないかという署名運動が、先月から今月にかけて急速に進み、ついに投票を実現でそうなだけの署名数が確保されたようです。この動きについて泉田新潟県知事も「ひとつの選択肢」と応じ、脱原発への一歩がここでも踏み出されつつあります。予断は許しませんが、県民投票などこれまでならあり得なかったことであり、やはり山は動きつつあるということだと思います。

このように、都会でも地方でも、一部の利益複合体の特権層のために他者が犠牲になる、またはリスクを余儀なくされることに対して、明確な反対の意思表明がなされつつあります。これは、このブログの問題意識にそくしていいかえれば、お互いの共生を志向する価値観が優勢になってきたことを意味します。そこで僕が希望的観測として期待するのは、そうしたせっかくの意識変革を、どうか原子力や核の問題だけにとどめないでほしい、同じ共生の価値基準を他の分野にも等しく適用してみてほしい、ということです。

具体的には、この場で何度も批判してきた「構造改革ムラ」「新自由主義ムラ」のことも、ぜひ共生の観点から疑問視してほしい、そしてそれを解体するために皆で力を合わせていこうじゃないか、ということ。誰が利益を得て誰が不利益をこうむっているか、原発の問題のように一見してわかるというものではないため、なかなかむずかしいところがあるのですが、それでも、今回の脱原発運動の過程で市民の間に健全な批判精神が再生してきたのは間違いなく、機は熟しつつあるように思えます。

そこで提案ですが、今度国政に進出する緑の党も含めて、まともな野党の皆さんたち(または、もしそうできるなら超党派でも結構ですが、とにかく心ある政治家の皆さんたち)に、「脱・構造改革基本法」あるいは「脱・新自由主義基本法」を議員立法で制定していただけないでしょうか。もちろん、政党だけでは力不足なのは明らかですから、市民運動のレベルでもそれを後押しするような流れを作り出さなければなりません。

もっとも、旧来の労働運動の枠組みだけでは絶対に限界があるし、そもそも連合にいたってはTPPに賛成だったりしますから(また電力総連は原発推進派です)、ある点では反動勢力といってもいいところがあります。一方、プレカリアート運動のように、立場上、真に「ムラ」を撃てる人たちは、潜在的には多いはずです。そうした人たちが共生の理念や価値観を掲げるなら、エコロジストやフェミニストなどとも協力し合えるのではないでしょうか。実際、たとえばシングルマザーの多くは非正規のプレカリアートであることが多いわけですから、フェミニストとは十分に連携が可能だと思います。同じように、環境意識を強めてきている農家や消費者とも、共生の理念において一致できるでしょう。

ラテン・アメリカには「広範な戦線」(Frente Amplio)という政治運動のスタイルがみられ、それが実は近年、フランスの批判勢力にも影響を与えているのですが、この日本でもそんな政治的イノベーションがより自覚的に推進されるべきかもしれません。考えてみれば、いまの脱原発運動にしても、ある意味では事実上の「広範な戦線」ですよね。会社帰りのサラリーマン、弁護士、自営業者、学生、主婦、子ども、年金生活者など、およそふつうなら歩調を合わせるとは思えない人たちが、首相官邸前や代々木公園などで一緒に声を上げ、「ゆるく」闘っているわけですから。

「脱・構造改革(脱・新自由主義)基本法」――次はこれしかありません。